あきと

『むずかしいことをやさしく,やさしいことをふかく,ふかいことをおもしろく,おもしろいことをまじめに,まじめなことをゆかいに,ゆかいなことをいっそうゆかいに』

ひろゆき「30歳までにやっておきたいこと」(2021年7月12日)

Q.日経新聞は読みますか?

A.大学生の時に1ヶ月間だけ取りました。新聞を自分で買って読んでみるっていうのを1回やろうと思って取ったんですけど、隅から隅まで広告も含めて読むっていうのをやったんですが大体、2〜3時間かかるんですよ。「これ毎日は無理だな」と思って1ヶ月で解約しました。大学生だったので何を読むべきで何を読まないべきか分からなかったので「とりあえずビジネスマンとやらは日経新聞を読んでるらしい」というのがあったから読みました。

Q.社会人になって最初にした仕事は?

A.バイトを含めると中学生からラーメン屋をしてました。大学在学中はHPの制作会社を作りました。

Q.大学生の間にやっておいた方が良いことは?

A.「免許を取ること」と「クレジットカードを作ること」ですかね。社会人になると免許を取りに行く暇がないんですよ。合宿にしても1ヶ月以上、自動車学校に通うにしても土日だけだと半年以内に受け切ることができなくて、結果的に通ったんだけど取れなかったみたいな話も聞くので。クレカに関しては聞いたこともない中小企業に入ったり自分で会社を作っても審査に落とされたりするんですよね。僕、30歳くらいの時に彼女とビックカメラに行ってビックカメラのクレジットカードを作ろうとしたんですよ。うちの彼女はうちの会社所属のデザイナーとして申請して通ったんですが、僕だけ何故か横に呼ばれて「西村さん、審査に通らなかったんです」って言われたんですよ。僕、役員なのに。っていうのがあって経営者ってクレジットカードを作れない場合があるので大学生の内に作る方がいいんじゃないかなあと思います。

Q.30歳までにしておくべきことは?

A.「外国に住んでみる」ですかね。旅行は社会人だとお金があるからいつでも行けるんですが、旅行者として暮らすのと生活者として暮らすのは結構、違うので。外国で暮らしてみて「この国って割と過ごしやすいな」とか「こんな感じだったら働けそうだな」と分かる人と「これ絶対に無理だわ。まじ日本好きだわ」っていう人と分かれると思うので自分の人生の選択肢を確認するっていうのはやっておいた方がいいんじゃないかなあと思いますけど。僕は大学生の時に1年間、アメリカの大学に行っているのでアメリカで生活して金を稼ぐっていうのをやってたので「アメリカならやっていけるわ」っていうのを分かってたので日本が面倒くさかったらいつでもアメリカに行こうっていう状態で生活してました。日本に居る間も年間の半分近くは海外旅行をしつつって感じでダラダラ過ごしてましたけど。別に僕はどこでも住めるのでどこでも良いんですけど。ネットさえ繋がれば。

Q.社会人になるとハードルが高いと思うんですけど…

A.普通の人って大体、転職を何回かするんですけどその時に割と「仕事、休みます」っていうので有休消化とかで1ヶ月間くらい何をしなくてもお金を貰える時間があったりとか1回辞めてみて失業手当を貰える形にすると半年くらい何もしなくてもお金が貰えたりするじゃないですか。なので自分がどういう仕事を向いてるのか、そもそも仕事しなきゃいけないのかっていうのは他の離れた視点から1回、見た方が良いと思うんですよね。世の中って働いてなくて幸せに暮らしてる人って結構いるので。日本人って「会社を辞めるととんでもないことになる」と思ってる人がいるんですけど他の国ってそういう事をあまり思ってない人が多いので。そういう緩い感覚があった方が人生ラクじゃないかなあと思います。

Q.でも中々、将来の収入が不安とか子ども産まれたらお金貯めないといけないと思った時にそういう決断ができないんですけど、どうしたら楽天的にテイクイットイージーみたいに考えられるのかなあと…

A.「お金がないと不安」という考え方自体が正しいのか確認してないのが問題だと思うんですよね。例えばテレ東で働いてる方ならそれなりの年収があるので結構良い額の貯金が出来るはずなのに出来てないのは支出が多いだけなんですよね。日本だけでもバイトで暮らしてる夫婦の元に生まれましたっていうので子育てしてますっていう家庭はザラにあるんですよね。じゃあその人たちが不幸なのかというと別に楽しく暮らしてますっていうのが地方に行けばいっぱいあるのでそもそも不安に感じてること自体が間違いじゃないの?と確認するのって、そこから離れないと分からないんですよ。自分の今の会社にいると今の会社の人たちしか周りにいないし、それが当たり前だと思っちゃうし、良い大学に

茂木健一郎「大きな事件が起こった時に」(2018年8月25日)

世間を揺るがし人々を傷つけ苦しめるような大きな事件が起こった時にその事件についての証拠を調べ真相を究明する。そのような役割が司法の中で行われることは大事なことだと思います。そして裁判が行われて判決に基づき、さらに司法手続きが進められていることは法治国家として大切だと思います。

しかしその一方で、事件の真相の背景の究明は司法制度だけに限られたことではないと思います。司法制度の外でも様々な方が事件について興味を持ち真摯に調べ耳を傾け、そして何故そのような事件が起きてしまったのか。どうすればそのような事件が二度と起きないようにできるのか。このことについて様々な立場から調査し、意見を発表する。これはとても大事なことだと思います。ですから裁判が終わり司法手続きが完結したらその事件は終わったということでは決してないと思います。司法手続きにはできることがあります。司法手続き以外で事件について考えることは様々な形で様々な方がやっていく必要があることだと私は考えています。死刑制度について様々な考え方があることは存じ上げています。私は日本の法制度が今後どうなるのかということ。その行く末を考える上で我々が世界の様々な国で様々な人たちが死刑という国の根幹、人間の尊厳そのものに関わる問題についてどのような考え方が唱えられてきてどのような議論が行われ、そしてどのような形で法制度の改正が行われてきたのかといったことについて深く広く耳を傾けること。これは本当に大事なことだと思います。

もちろん日本の法制度は最終的には日本の方々が決めることです。しかしどのような形で将来、死刑を巡る法制度が変わるにせよ変わらないにせよまずは何故、世界の様々な国の方々が死刑の存廃について現在のような意見を持つように至ったのかということをとりあえず謙虚に耳を傾けて聞く。これは立場の違いを超えてとても大切なことだと思います。時には自分の意見と異なる意見に対してもすぐに否定しないで耳を傾けること、じっくりと落ち着いて考えること。これは最終的に日本の法制度がどのように変更されるのか、されないのかに関わらず大切なことだと思います。

私は人間の尊厳を深く考えた時に世界の多くの国がそうであるように死刑は廃止されるべきだと個人的には思っています。しかし私も引き続き様々な意見に謙虚に耳を傾けていきたいと思いますし、また私の考え方を率直に申し上げていきたいと思います。お互いに相手の声に耳を傾けること。このことが死刑の問題を巡る法制度について考えるキッカケになると同時に我々の社会が悲しい苦しい事件を起こさないような方向に向かう変化のキッカケになるのではないかと信じている次第です。

若新雄純「人間ってどうしてこうなの?」(2021年5月31日)

例えばニュースってなると「都会の人は」とか「何で男は女は」とかある部分を限定して語ることが多い訳じゃないですか。「日本人は」「アメリカ人は」とか。でもどこかで分けてしまうと「その分け方って正しいのか」とか「本当にその人たちは一括りにしていいのか」ってなると思うんだけど、人間全体が何でこういう風にできちゃったのだろうかっていうのを一つひとつのニュースを通して考えていけたらいいなあと思ってるし、僕がやってきている活動の紹介だったりとか研究で見えてきたことをお話していきたいと思ってます。

結局、人って自分と違うものが怖いのです。自分たちに害を与える存在かどうか分かってなくても何故か姿、形や種類が違うってだけで不安になるっていうことがあるじゃないですか。でも、それは僕らも動物の一つだから備わってるんですよね。ただ、その備わっている本能や勘のままに追いやってしまうとそれは「弱いものいじめ」とか「違うものいじめ」や「差別」になっていく訳なので僕たちはよくそこを学んで違いを乗り越えていく必要があると思う。

①なぜ密になるものをつくるのか(オリンピック、パラリンピック、PVパブリックビューイングに懸念の声)

もちろんPV会場を使うのに40何億円かかるとかお金の使い方が相応しいのかという声もあるんだけど、1番気になっていたのはオリンピックをやるにしてもこの1年間、世界中のいろんな人たちが一生懸命、努力・工夫して様々なことを開催・実施するにしても「最小限の形」を模索してきたと思うんですよね。通勤もイベントの参加者も現場に来るスタッフの数も客席も営業時間も最小限にしよう、と。そしてそれに多くの人が応じてきたと思うんですよ。でもこのオリンピックについて勿論、今も感染は広がり続けている訳だけど

 

古市憲寿『同じ環境で過ごすと「おじさん化」する。違う環境の人と触れる努力を』

Q 日本のリーダー層に望むこと

今、G1っていう意識の高いエリートの人が集まっている場所にいるんですけど確かに此処にいる人たちは素晴らしくて日本の未来のことを考えているし、社交的で感じも良くて良い人ばかりですけど、でも同時にここに来て思うのは確かにここにいる限りは日本って将来、大丈夫だなって思えるんですけどこれって日本のほんの一部だと思うんですね。これから日本ってどんどん階層、階級社会になっていくし人々の価値観がどんどん分かれていく。そこの中でここにいる人にも思ってほしいなと思うことが1つあって、自分たちの価値観の中であまり固まってほしくないなあと思うんです。それは別にここにいる人に限らずどんな人に対しても思うんですけど会社であったりとか職場であったりとか若しくは地域でもどこでもいいんですけど、やっぱり人ってどうしても自分と身近な人や価値観が近い人と固まりがちになってしまってその価値観が当たり前になっていくと思うんですね。去年、出した「だから日本はズレている」って本でも書いたんですけどやっぱりどうしても同じ価値観の中で暮らしていくと「おじさん化」していくというか皆がつまんない、ルールを疑わない盲目的な人になっていく。そうじゃなくてちょっとでも外部の違う空気に触れてみるのは誰にとっても大事だと思うんですね。だからG1っていうエリートとか優秀な人が集まる場であってもここで得た知見を社会に還元するとか社会の違う階層の人に触れるってことがもっと広まっていけばいいなあっていう風に思ってます。

Q 「努力」について思うこと

やっぱり自分が成功してきた人っていうのは「努力すれば誰でも成功できる」とか「頑張りさえすれば誰もが報われる」と思いがちだと思うんですね。確かにそれは成功した人にとっては当てはまるんだけど、でも実際、成功者の影にも数えきれないくらい失敗した人がいる訳です。しかもその失敗っていうのが必ずしも自己責任とは限らない、自分がどんな階層に生まれるかとかどんな地域に生まれるかとかどんな国に生まれるかによってどうしても将来が規定されてしまう。例えば特に「努力する」っていう誰でもできることのように思われていることでさえ実は階層や才能によって差がある。階層が上の人に生まれたら自然に努力ができるし、逆にそうでない人は努力さえも中々できない。だから結局その階層差とか生まれた環境によるハンデを無くしてからでないと「頑張れ」っていうメッセージは届かないと思うんですね。日本って最近は「起業家精神を持ちましょう」とか「起業家をもっと増やしましょう」とかすごい言われるんですけど、でも実際たしかにその呼び掛けは大事なんだけどそのためには本当はもっと社会制度を整えなくてはいけない。労働環境を自由にするとかセーフティーネットを整備するとか1回失敗してもまた会社を興しやすくするとか。そういうセーフティーネットの整備なしにただ「頑張れ」っていう精神論って中々、意味がないっていう風に思うんですね。だからその「頑張れ」っていう掛け声だけでなくて「頑張れ」って言うんだったらその環境までもセットで整備されるような社会であればいいなあってことは思います。

Q デモなどがほとんどない日本社会を変えるのは何か

日本は確かに昔に比べてデモがすごい減っていたりとかフランスとかに比べてデモが少ないと言われますけども裏を返せば日本社会がまだそこまで悪くない状態であるってことの裏返しだと思うんですね。だからそのデモが起こらないとか社会運動が活発化しないってことは別にそこまで批判されることではない。で同時に何が起こっているかっていうと、そういうデモとかではなく、G1に参加されている駒崎弘樹さんみたいに社会起業家って人がすごい増えてます。火炎瓶を投げつけて国会を壊すんだっていう反乱をするんじゃなくてちゃんと既存の仕組み、既存の政治家、既存の行政と手を結び合ってそこの中で社会を建設的に変えようとする動きがこの10年ですごい広まっています。だからデモという形での民主主義は日本には無いけれど違う形での民主主義、ちゃんと既存の仕組みと上手く手を取り合って社会を変えていこうっていう動きが最近、すごい広がっています。そのことは日本の未来を考えるに当たってすごいポジティブな材料であると思うんですね。例えば、1億人すべてを救うようなヒーローは日本には出てこないとしても1000人とか1万人を確実に幸せに出来る人がこれから増えていけばそういう人が10人、100人、1000人って増えていけば結果的に1億人が幸せになる国になると思うんですね。そういう意味で日本に希望はまだまだあるんじゃないかなという風に考えます。

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」に関する橋下徹の解説

根本は「表現の自由」「検閲」についての勉強不足、これに尽きます。憲法論、これは色んな意見があるので僕の言っていることが全て正しい訳ではありませんが、検閲というのは一般的に全ての表現を禁止することを言います。あいちトリエンナーレでの展示を断っても他の所での展示を禁じなければ検閲でも何でもないんですよ。それから裁判例にもきちんとありますけど、表現の自由侵害というのは市民や国民の活動を妨害、禁止することを言うのであって、「表現の自由」の名の元で今度は表現者が「俺の作品を展示させてくれ」「お金をくれ」と言うのは表現の自由の範囲外なんです。だから展示する側の方が「俺の作品を展示させてもらえないと困る」「これを除外してもらったら困る」いろんな芸術祭のところで困る困ると表現者の方が求めていく、そんな自由はないんです。それは他の所で展示すればいいんだから。この表現の自由と検閲のところで問題になると、朝日新聞的な人たちがワーワー騒ぐからみんな政治家はビビっちゃってる。こんなことでビビってたら自治体が事業なんかできませんよ。僕も色んな事業をやったけど事業方針に合わないものはダメですよ、と。その時に「表現の自由の侵害だ」「俺たちの自由を奪うな」と言ってもこれは「事業方針に合わないからダメです」これでいいんです。自治体トップの権限、責任ですよ。

夏野剛「40代からの生き方・過ごし方」

40歳って「人生の折り返し」とか言われてるんですけど「まだまだ時間はたっぷりある」と思ってるじゃないですか。それは30代とか20代とあまり変わらない心持ちなんですよ。でも50を超えると「あれ、俺ってあと何年働くんだろう?」と言って急にお尻を意識しちゃうんですよね、大体の人は。だけど40の時はあまりそれを思わないんですよ。なので僕のオススメは「自分が50でリタイヤする」と思ったら「40代の10年をどう過ごすか」を考えることなんです。「後10年しか自分の現役人生はない」と思ったら何をするのか。それを普通の人は55とか60で考えようとするから(タイミング的に)もう何もできないんですけど、40の時に考えておくと50以降に残るものをやろうとするじゃないですか。というか結果的に残るんですよ。40だったらまだ体力もあるし、多少のリスクも取れるんで。そうすると何かやろうとするじゃないですか。そのやったことっていうのは確実に残るものになります。だって人間って40代が1番デカいことできるんで。体力や気力、チャンスが全部あるから。社会的にも40代はもう大人だし、エネルギーもあるから期待してるんですよ。だから実は40代が男女ともに1番自分の思い通りのことができる年代なのに「まだ俺は先があるから」って先延ばしにしちゃって、で50を超えた後に「あれ、この後どうしよう」ってなってるのがほとんどの99%の人なので。「この10年しか人生はない」と思ったら何をするのかってことをやればいい。僕はそれを考えたら「ヤベ!こんな会社にいちゃヤバい!」と思ってdocomoを辞めました。43歳の時に。辞めて良かったと思いますよ。53だったら辞められなかったかもしれないもん。「まぁ残り7年、大過なく過ごせば常務か副社長くらいまでいけるかもな」とかそういうのを考えちゃう。だから40代も駆け抜けましたけど、でもやって良かったと思ってます。43で辞めて大学教授とか色んな会社の役員とかやって、45の時から「とくダネ!」に出始めて11年間も出てたんで。テレビの仕事はdocomoの役員じゃできないし。だから今でも新しいことにどんどんチャレンジできるチャンスだと思いますよ。絶対、無駄にしないで下さい。何しろ「自分の人生があと10年しかない」と思ったら「もう今月終わっちゃった」って思うじゃないですか。それでいいと思います。僕はよく「40代でビジネスマンの明暗が分かれる」と言いますけど、まぁ実は30代だって同じなんですよ。

若新雄純「家庭で教育はやめるべき〜無条件肯定される体験〜」

今の日本は世界的に見て学校教育の制度がすごく充実している。誰でも学校に行けて最低9年は義務教育を受けられるし、底上げという意味での質は決して低くない。ただ学校教育が万全かというとそうではない。充実しているからこそ抜け落ちる重要な問題もある。それは愛情だ。家庭では教育より愛情が大切である。つまり愛情とは無条件肯定のこと。私は若者、特にニートとよく関わっているが彼らの中ですごく染み付いている大きな格差があるとすれば、それは教育格差ではない。ニートでも社会で生きていくための基本的なリテラシーは皆、持っている。「しつけがなってない」というような人はそんなにいない。ただ、「無条件に認められたことがない」という格差を抱えている若者が増えている気がする。自己肯定感の喪失だ。学校での教育は必ず評価がセットになってくる。あるレベルに到達することを目指しているからだ。順位が付くし点数が付く。評価から逃げられない。常に序列がある。学校教育のプログラムは固定化されているので運動と勉強で違いは出ても中々、評価を貰える機会とか良い条件を貰える機会はバランスよくバラついておらず、どちらかに傾いている。だから表彰される人は毎回、表彰される。みんなのベースアップにはなっているが、どこかで比較意識が生まれる。それを変えて「全員、平等で仲良くゴールしましょう」みたいになると今度は全体のレベルアップに繋がらない。しかし最近は家庭においても学校教育的なものが侵入してきている。核家族化した中で親までも点数とか結果、評価をすごく気にしてしまっている。そうなると家に帰っても「〇〇君より低いね」とか「〇〇ちゃんはもっと高かったのに」と言われて子どもは悲しくなる。点数が取れない自分には価値がないんじゃないか、と思うようになる。屈折感が生まれるのが問題なのだ。僕は田舎出身だったので特に分かるが、家に帰ると祖父母が明るく出迎えてくれた。何も賞を貰えなくてもただ家に帰ってくるだけで100点をくれた。大家族が当たり前だった時代は父母が点数を気にしていたとしても祖父母が気にしなかった。テストの点数が良かろうが悪かろうが元気に家に帰ってくるだけで、生きているだけで価値があると伝えてくれる人がいた。

 

家庭で教育をしている場合じゃない。

 

親がするべきなのは無条件肯定だ。

 

子どもを本当に愛しているならば。

落合陽一「"脱日本語"思考法とは」(2017年7月2日)

我々が思考言語に使っている日本語はほぼ近代語です。フランス人権宣言から後の近代は「人間の人間による人間のための社会」なのでそれを作るために作った言葉を福沢諭吉とかが頑張って日本の言葉にして作ってます。だから我々の言葉は日本語で考えている時点でコンピュータの世界に行けない。どこか他の言語体系で頭の中を考えた方が良くて、僕が頭の中にインストールされてるのはラテン語と中国語と英語なんですけど。ラテン語と中国語は喋れないけど読める。英語は喋れるまである。それを日本語と組み合わせながら物事を考えてるので日本語をやめたほうがいいですね。それか仏教の言葉を勉強すると良いです。だって明治で新しく作った言葉の殆どが仏教語からの輸入です。そうしないと日本語ってアップデートできないんでオススメなのは中日辞典をポケットに入れて「この二字熟語はどういう意味なんだろう、中国語で」ってことを考えながら生きるのがオススメです。

ひろゆきvsたかまつなな(2021年10月27日)

【若者は選挙に行くべきか】

ゲスト:下村健一、畠山理仁

T:教育や子育て政策の優先順位が低すぎる。高めようとする国会議員を応援しよう!

H:投票する有権者の平均年齢は55才。子育て政策は20代30代への投資。高齢者は得しないので票の欲しい政治家は少子化対策を後回しにする。結果、少子化が進む。多数派で決める限りは覆らないので少数派が応援しても解決しない。

T:だからこそ若者の主権者教育をしたり選挙に行く若者を増やすことが大事だ。

H:「若者が選挙に行けば政治は変わる」と言ってる人は全て嘘つき。2〜30代の投票率が100%になっても40代以上が40%投票するだけで同数。40代以上の投票率は常に50%近くある。

・ここから本題↓

H:若者が選挙に行く理由って何ですか?

T:社会の一員であることもそうだし政治家は選挙に行く人しか見向きもしない所があるから若者が行かないと若者政策が増えない。今の日本はシルバー民主主義になっている。高齢者向けの政策ばかりなので若者が存在感を示さないと日本の教育費が少ないとかそういう問題が解決できない。

H:50代の貯蓄ゼロ世帯は40%、50代の未婚率は25%いるのに何故10代の若者にお金を配りたいと思うのか。たかまつさんの願望は分かりました。実際、貴方が50代の今の状況だとして10代の若者の大学費用3〜400万円をあげますってなった場合、「俺の方が先に貰うべきだろ」と普通は思うんじゃないですか?環境問題とか正直、どうでもいいじゃないですか。自分の金がないことに比べると。若者政策がどうこうというより自分の生活が先ですよねって話。50代にとって若者政策は他人の政策。なので若者であるたかまつさんが「50代のお金のない人も若者のことを思うべきで若者に金を払え」と言ってるのって逆に言うとたかまつさんは若者なわけで、お前らじゃなくて俺たちに金をくれって言ってるのと同じ。

T=ひろゆきさんの理論は「シルバー民主主義という言葉を使うな」と言ってる人の論調と似ていると思う。それは立憲民主党枝野幸男さんに取材した時に仰っていたんですが、シルバー民主主義っていう言葉を使うと世代間の分裂を煽ってしまう、と。高齢者でも貧しい人はいるっていうような話をされてたんですが、私は社会のセーフティーネットとして貧しい人を救うための生活保護制度は充実しなきゃいけないと思うが、ただ若者に予算がいってないという事実はある。それを解消するためにどうすれば良いかと言うと若者が選挙に行って存在感を示すってことが必要だと思う。

H:50代の貯蓄ゼロの人にはお金がいってないと思うんですが、そこは何で無視するんですか?

50代の人は生活保護を受けろ、若者には金を配れってことですか?それって要は「私は金が欲しい。お前らより先に金をくれ」って言ってるだけ。

T:教育にお金をかけるとその人たちが生活保護受給者になる可能性が下がるじゃないですか。自分でお金を稼ぐ能力が身に付く可能性が高くて、やっぱり教育に投資するっていうのは日本の根幹の未来を考える上ですごく大事だと思うので若者に投資することは日本にとってメリットがあると思う。

H:そりゃ若者は幸せになると思います。で50代の人は何で幸せになれるんですか?

T:幸せになれない訳じゃない。生活保護とかセーフティーネットは実際にある。

H:じゃあ50代で生活保護を取りました。若者も大して学歴がないままっていう状態と若者が大学に行きましたっていう状態ってどちらも本人が生活保護っていうのは変わらなくないですか?

助っ人登場、下村健一さん

S:50代の方はいいのかよ、とひろゆきさんは言われたけど50代はそこそこ投票率があるんですよね。今、たかまつが問題にしてるのは若者もいろんな問題を抱えてるのに投票率がこんなに低い、と。つまり若者たちが自分で声を上げるっていう方法に気付いていないっていうかそこに無力感しか感じていない、と。そこを何とかしたいっていうのがたかまつの言ってること。あと、50代の苦しんでいる人たちを放っておいていいのかというのはすごく正しい問題提起なんだけど、一方でそういう問題を抱えていない60%の貯蓄がある人や75%の未婚ではない人に向かって若者のことを考えてよって言うのは本当に無力かなあ?ということ。つまり、負け方にも大小があって若者が全員、投票に行ったって人口比からして高齢者に負けちゃうっていうひろゆきさんのツイートはその通りなんだけど、ものすごく少人数の言い分と結構、大人数の少数派だったら政治家としては大きな塊の少数派のことを考えないとまずいなあということ。要するに政策の比重にグラデーションが出てくる。だからある程度の数になるためにも所詮、少数派だけれど塊を大きくしようよという意味での投票率を上げましょうっていうのは決して無効ではないと思う。

H:高齢者の方や子どものいる人が教育に投資する政策をやった方がいいよねっていうのがじゃあ今まで昭和の時代から平成、令和と続いてなぜ実現していないのかっていうのでもう答えは出てると思うんですよね。50代以上の方っていうのは教育に投資をする政策を掲げる政治家に投票したいというモチベーションがない。結果として今の政治家が選ばれていて今の政策が選ばれている。願望でこうなったらいいよねと仰るのは分かります。ただ現実問題、既に日本で投票っていう制度が出来てから何十年も経ってますがその成果が今の日本じゃないですか。なので今まで通り投票しても高齢者はシルバーデモクラシー的な方に投票するっていうのは変わらないっていうのが今の現実で証明されているじゃないですか。

 

 

【宮台真司】「鬼滅の刃」が現代人に問うこと

・ヒットを読み解く方法論

元々、例えば大衆文化あるいは芸能や芸術が時代ごとに決まった型があるということは昔から知られている。ギリシャ叙事詩といえば紀元前8世紀とか。しかしそれ以降の時代は作られなくなる。ギリシャ悲劇であれば紀元前5世紀とか。今、日活ロマンポルノっていうのは無いけど70年代を通じて大衆的にポルノ映画が見られた時代がある。それも70年代で終わっている。あるいはATGというアバンギャルド系の映画。これも60年代で終わっている。

それぞれお金の流れだけじゃなくて内容に非常に明確なパターンがある。そのパターンがある時代に始まってある時代に終わる。パターンを説明する枠組みは昔からある。それは19世紀の末からある。それはマルクス主義の枠組みっていう風に言われている。

上部構造、下部構造って言うんだけど下部構造っていうのは生産消費関係つまり経済的な関係性。それに対して上部構造っていうのは広い意味で言えば文化。政治も芸術も大衆芸能も入る。下部構造、その時々の経済的な社会の在り方がそうした方言のパターンを決めていると考える。

例えば日本でも1970年代に入る頃まではそういう分析が一般的だった。鶴見俊輔を代表とする思想の科学グループがいて見田宗介とか南博とか色んな錚々たる論客がそこにいたんだけど、基本的に下部構造が上部構造を規定している枠組みだった。

60年代っていうと若者の疎外が描かれることが多い。それは都市と農村の格差問題、つまり農村の貧困問題とかあるいは急に高度成長を遂げて農業を中心とする自営業が専らだったものが、サラリーマンが増えて使い捨てというか駒のように組織の中で働く人間が増えていく、その駒になる予備軍としてのマンモス授業の大学があった。そういう構造の中で若者の疎外が描かれるってことがあった。当時は街で会うだけでホワイトカラーかブルーカラーかが分かった。喋れば訛りがあるかどうかで都会出身者か田舎出身者か分かった。なので映画やドラマの中でも見かけですぐ分かるような属性がその人の行動、考え方を決めているっていう考え方が比較的、当たり前だった。

70年代に入ってしばらくすると思想の科学の分析が残念だけど全てトンチンカン、同時代の分析については。トンチンカンに見えるようになった。経済的な状況というよりもその人がどういう人格のパターンなのかが享受するメディアを決めるようになる。

最初、マル金/マルビって言葉が出てきて根暗根明、ナンパ系オタク系っていう対比で出てくるようになる。経済状況より対人関係が得意なのかどうか。例えばモテるモテない問題について劣等感があるのか無いのかが享受するメディアのコンテンツを決めていく訳だ。モテない人がオタク的なコンテンツを享受してモテる系はそれを享受しない代わりに比較的オシャレ系のコンテンツを享受するようになる。例えばデートで観るような作品を観る。明確に分岐していく。そのモテるモテない問題は実は経済の問題とはあんまり関係ない。金持ちでもモテない奴はオタク系コンテンツを享受する。オタク系のコンテンツも新人類系のナンパ系のコンテンツも同一の人間たちが作り出したんだっていう結構、重大な問題がある。

当初は「よねあつごっこ」と僕は言ってるけど他の奴とちょっと違うぜっていう所を見せるためにナンパ系の方向に乗り出したりコンテンツを深掘りする方向に乗り出したりすることで初期のナンパ系コンテンツが出来る訳だけど、それを享受する人たちが自分がどんな人格的なリソースを持っているかによって享受するメディアを変えるようになってしまった。それを「自己のホメオスタシス」と僕は呼んでいる。

古市憲寿「次世代のリーダーに期待すること」(2016年6月23日)

Q古市さんにとって「リーダー」の条件とは?

なんかリーダーっていうとすごい独占的で自分が全部決めて…みたいなものをイメージする方が多いと思うんですけどG1にいる方って必ずしもそんな人ばかりではなくて、むしろ仲間に助けられながら仲間と協調しながらやってる人が凄いと思うんですね。だからその雰囲気はすごく良いなあと思いました。

Q 20代30代の次世代のリーダーに期待することとは?

特に若い女性があんまりいないですよね。やっぱりG1自体も男性が多くて結局やっぱりどんどん年齢が上がってきていて何かそれちょっと残念だなと思うんですね。だからもうちょっとちゃんと若い女性に関して参加しやすいようにするとかもっと発掘するとかね。多分、良い人は日本はそこら中に遍在してると思うのでそういうのもちょっとしていけたらなあってことは思います。むしろ最近は「18歳選挙権」の話もありますから10代とかでも会社持ってる方もいますし、10代でも政治運動をされている方もいますから10代にももっと注目してもいいんじゃないかなあと思います。

三浦瑠麗「決断ができる子どもを育てるたった1つの質問」

・子どもの教育方針

生きる力を身につけるというのが教育目標なんです。子どもにある程度、裁量を与えて不出来な結果だったとしても面白い料理の下ごしらえとか時には火を入れるみたいなことをやらせてあげることは大事ですし、私は時々メニューを1つだけ全部任せたりすることもあります。子どもを特別扱いしないことが大事で、よく「家事って目に見えない家事も含めていっぱいあるんだよ。お父さんがゴミ出ししてるって威張ってるけど実はごく一部の家事でしかないんだよ」ってよく言われますよね。これは子どもにとっても自覚をさせないとその後の生きる力に繋がらないんですね。うちの子はペットの世話は1から10まで全部、食洗機も下げて入れて回すところまで彼女の担当。洗濯もですね、いろんな4種類から5種類に分けて洗うのも基本は彼女がやっています。当然、畳んで各自の所にしまう直前まで持っていくのも彼女の仕事ですね。掃除もやるし、だからできないことって言うと今のところ背丈の問題で揚げ物とか背丈が必要な作業以外は全部できる。それが小3としては当たり前のことなんだって思ったら皆さんびっくりされるかもしれませんが、それが正しい子どもの教育ですよ、ということですね。

・受験にとって大切なこと

例えば1番であるとか10番以内であるとかそういうのでないと自分を支えられない人間になってしまうので「目指す時の目的」はとても大事ですね。単に一流の人が多いとか点数(IQ)が高い子が多いとかだけじゃなく自分にしっかり負荷をかけて試してやる。大学で4年間の教育を終えた後に自分が「本当にこの分野は優れている」と言ってもらえるなあ、とか自分のしたことが相手に感謝されるっていう満足感を見つけていくためのステップだと思っていただけたらいいと思います。

・子どもに受験をさせる上で親が気をつけるべきこと

私の母校は湘南高校といって神奈川県で1番良くできる高校だったんですね。学区制だった時には男女が半々でした。けれども学区制を取っ払って全県で受験が可能になると、女性が減ったんですね。これを見た時に女性の方が頭が悪いのか。そんなことないですよね。親御さんが女性にチャレンジさせていないから女性比率が低くなるんです。これは東大も一緒で自分の近隣県から通える大学を選ぶのか。難しいけど遠い所を選ぶのか。男性と女性で大きな違いが出ているんですね。親御さんがもし、子どもの可能性というものを「男性だから」「女性だから」という理由で制限してしまうと結局その子は常に力をセーブした人生を生きてしまうんですね。その力をセーブするということはその人の中に眠っている力を誰も引き出せない。自分自身、引き出せないということですから幸福を感じる瞬間が少なかったり色んな意味で不満を抱く人生になりかねないので、そこは背中を押してあげるぐらいの意味も含めて親御さんがジェンダーの問題は気をつけた方が良いと思います。

・受験をサポートする保護者にエールを贈る

最近、私も子育てや教育について聞かれることが増えてきたんですけど正直、私も小3の親でしかないので見本をお見せするという状況にはないんです。

 

橋下徹「憲法改正は絶対必要。安倍総理しかできない」(2015年1月15日)

憲法改正は絶対に必要です。安倍総理しかできないと思いますね。これは大阪都構想よりも難しい話であってね、憲法改正をすれば大阪都構想に対する色んな批判なんか比べ物にならないくらいメディアから総攻撃を食らうでしょうね。大変な難作業だと思いますけどやっぱり国民自らが自分たちの国のカタチづくりを苦労してでもやる、と。それがどういう条文でどれくらいの分量であるかを問わずにね。憲法という国の根本規範、国のカタチを決める、権力者の権力を縛るという意味での根本規範であったとしても憲法という国のカタチづくりに国民が苦労してでも携わるというこれがない限りは国に背骨が入らないし、民主主義のレベルが上がらないと思います。だから是非、やらなければいけないと思ってますし、総理も大変だと思いますけれども何とか成し遂げていただきたいと思いますけどね。まぁその予行練習ですよ、大阪都構想は。大阪のカタチをね、大阪市民が自ら苦労して作っていく、という作業を住民投票で。まぁ憲法改正における国民投票と同じような形でこれからやる訳ですから大阪都構想、それに加えて憲法改正。これは是非、総理に実現してもらいたいと思ってます。協力も何も出来ることがあれば何でもしますよ。協力とか偉そうな立場でも何でもなく。一国民として憲法改正に国民が直接、携わるというこれは絶対にやらなきゃいけないので出来ることなら何でもしたいと思いますけどね。まぁ憲法改正なんて今までなら「出来ないだろう」と皆が諦めていたことに総理がチャレンジされるということはすごいことだなと思いますけどもね。

成田悠輔「若者だけで独立国は作れる?まずは小さな自治体の村長選挙を乗っ取ることから始めよう!」

成田悠輔「若者が何かを変えるためには今のゲームの中で頑張って政治参加したり戦ったりしても無理なので、ゲームの外に出たり新しいゲームを作り出すしかないっていう意味で「独立国を作るしかない」と思ってるんですよ。だけどその次に、仮に若者たちが独立国を作ったからといって「それで上手くいく?」と聞かれたら「結構、日本の場合はダメなんじゃないか」っていう気もするんですよ。っていうのは今の日本の若者って貧乏じゃないですか。今の日本の20代30代って確か半分以上の人たちが資産・貯金がほぼゼロなんですよね。何も資産がなくて銀行の預金通帳に残高が10万円以下みたいな人が50%以上なんですよ。そうすると基本的に今月の生活が全てで、ちょっと身体を壊したらそれでゲームオーバーっていう感じの人がほとんどになってると思うんですよ。そういう中で国の行く末とか言ってる暇あるのかなっていう風に考えると普通に考えたら無いと思うんですよ。なのでデータは無くて今この問いに関する研究をしようとしてるんですけど。つまり「若者が天下を取ると世の中は本当に良くなるのか」っていう研究をしようとしてるんですけど、研究ができる前の仮説を考えてみると、若者が天下を取ると貧乏で今月の家計のことしか考えてなくて、ひろゆきの切り抜きばっかり見てる人たちが天下を取るってことなので世の中がもっと悪くなる可能性があるんじゃないかってちょっと思ってます」

若新雄純「これは重要な指摘だな。だってベンチャー企業を作る時に若者世代全員が入ってベンチャーを作る訳じゃなくて、若者世代の中の一部の(まぁ仮説としてだけど)ものすごい優秀な人、センスのある人、稼ぐ能力のある人、覚悟が決まった人、親が金持ちとかそういう奴らが集まって彼らだけでベンチャー企業を作ればまだチャンスはあるかもしれないけど、若い世代だけで国を作るってなっても若い世代という広い中にはバカな奴、どうしようもない奴、貧乏な奴も全員含まれていてこの若者たち全員で新しい国を作ったってそれが必ずしも「若いから優秀とは限らない」っていう話もあるでしょうし、ごく一部の本当に洗練された人たちだけで「何かやろう」ってなってもそれは国ではなく"自分たちに都合の良い感じで回る組織"(会社なのか集団なのか分かんないけど)を作ればいいっていう話になっちゃうかもしんないし、若いから能力があって優秀とは限らないですもんね」

成田悠輔「だから世代間の問題だけを考えるんじゃなくてベンチャーであること、スタートアップであることみたいなのが重要なのかなと思っていて、全ての人を巻き込まない小さなグループが自治体とか村とかコミュニティみたいなものを乗っ取る所からスタートするしかないんじゃないかと思っています」

若新雄純「なるほどね。そこにいる人が全員参加できる訳じゃないってことだね。全員参加はダメってことだね」

成田悠輔「なので衆議院選挙みたいなところで若者の政治参加を議論するのは的外れだと思っていて、どっちかというと誰も聞いたことない小さい自治体の村長選挙とかで村長選挙を乗っ取りに行くために1000人の若者が決起するみたいな方向の方が全然、未来はあるんじゃないかなと思ってますね」

 

 

茂木健一郎「大学の意味とは何か」(2019年12月13日)

自分でインターネットを使って学べる時代に大学の役割とは何なのか。居場所というかFace to Faceのコミュニケーション、これだと思うんですよね。情報自体は別に今、自分で手に入れられるから大学の価値は人と人とが知り合い、向き合うことにしかない訳です。コミュニティビルディングがあれば大学というのは絶対的な存在ではない。コミュニティビルディングのテクノロジーをこれからどのように作っていくか。そういう発想をしていくことが大事だと思うんですよね。大学というものは入試があってキャパが限られている訳ですけど、スケーラビリティがない訳ですから。だからスケーラビリティをどうやっていくかっていう。世界7ヵ所にキャンパスがあるミネルバ大学みたいなものも1つのやり方でしょうし、完全に学費無料の4T2みたいなコーディングの大学も1つのやり方です。慶応大学のようにトラディショナルな大学も良い訳です。いろんなコミュニティビルディングのやり方を考えていくのがこれからの時代の。ですから大学を絶対視する必要もないし、大学のメリットデメリットをファンクショナルというか機能的、計算論的に考えるっていうエクササイズをしておくことが結局ね、高等教育課程で大学ってのはすごく重要な意味を持つ訳ですから。その価値をはっきりと見定めておく。そしてその発展の可能性を見るってことが大事なのかなと思います。