あきと

『むずかしいことをやさしく,やさしいことをふかく,ふかいことをおもしろく,おもしろいことをまじめに,まじめなことをゆかいに,ゆかいなことをいっそうゆかいに』

茂木健一郎「大きな事件が起こった時に」(2018年8月25日)

世間を揺るがし人々を傷つけ苦しめるような大きな事件が起こった時にその事件についての証拠を調べ真相を究明する。そのような役割が司法の中で行われることは大事なことだと思います。そして裁判が行われて判決に基づき、さらに司法手続きが進められていることは法治国家として大切だと思います。

しかしその一方で、事件の真相の背景の究明は司法制度だけに限られたことではないと思います。司法制度の外でも様々な方が事件について興味を持ち真摯に調べ耳を傾け、そして何故そのような事件が起きてしまったのか。どうすればそのような事件が二度と起きないようにできるのか。このことについて様々な立場から調査し、意見を発表する。これはとても大事なことだと思います。ですから裁判が終わり司法手続きが完結したらその事件は終わったということでは決してないと思います。司法手続きにはできることがあります。司法手続き以外で事件について考えることは様々な形で様々な方がやっていく必要があることだと私は考えています。死刑制度について様々な考え方があることは存じ上げています。私は日本の法制度が今後どうなるのかということ。その行く末を考える上で我々が世界の様々な国で様々な人たちが死刑という国の根幹、人間の尊厳そのものに関わる問題についてどのような考え方が唱えられてきてどのような議論が行われ、そしてどのような形で法制度の改正が行われてきたのかといったことについて深く広く耳を傾けること。これは本当に大事なことだと思います。

もちろん日本の法制度は最終的には日本の方々が決めることです。しかしどのような形で将来、死刑を巡る法制度が変わるにせよ変わらないにせよまずは何故、世界の様々な国の方々が死刑の存廃について現在のような意見を持つように至ったのかということをとりあえず謙虚に耳を傾けて聞く。これは立場の違いを超えてとても大切なことだと思います。時には自分の意見と異なる意見に対してもすぐに否定しないで耳を傾けること、じっくりと落ち着いて考えること。これは最終的に日本の法制度がどのように変更されるのか、されないのかに関わらず大切なことだと思います。

私は人間の尊厳を深く考えた時に世界の多くの国がそうであるように死刑は廃止されるべきだと個人的には思っています。しかし私も引き続き様々な意見に謙虚に耳を傾けていきたいと思いますし、また私の考え方を率直に申し上げていきたいと思います。お互いに相手の声に耳を傾けること。このことが死刑の問題を巡る法制度について考えるキッカケになると同時に我々の社会が悲しい苦しい事件を起こさないような方向に向かう変化のキッカケになるのではないかと信じている次第です。