あきと

『むずかしいことをやさしく,やさしいことをふかく,ふかいことをおもしろく,おもしろいことをまじめに,まじめなことをゆかいに,ゆかいなことをいっそうゆかいに』

宮台真司「社会学とは何か。私が社会を研究する理由」(2017年4月21日)

社会学とは当たり前だと思っているものが当たり前ではないということを徹底的に明らかにしていく学問である。

昔、お祭りの時は無礼講だった。例えば、くらやみ祭り。戦後、夜這いや乱行がまだあった。私が東大の助手になった頃、花見のファシリテーションというか仕切りを任されていて代々木公園内でも平気で焚き火をしていた。僕だけじゃなく皆やっていた。んでお巡りさんがパトカーで回ってくるんです、公園内を。「公園内の焚き火は固く禁じられております」「おい、そこの君たち、火がちょっと大きいじゃないか」つまり火を消せとは言わない。んで皆が小さくするわけです。そんな感じで日本は建前と本音という言い方をしていたけれど、ちょっと前まで「法を守る立派な市民です」っていうのは"なりすまし"みたいなもので、本当は本音を共有しているから本音の部分で好きなことをやっても無秩序にならないよっていう感じがあった。でもそれはある程度のスパンはあるけど80年代を通じて変化し90年代後半になると全く無かった。そこから生じたのはむしろ逆だよね。それまでは決まりを破る人間たちがそれでもシンクロしているよっていうことで仲間意識を抱いたのが「こいつが仲間を破ってるんだ」と指を指して炎上するっていう疑似共同性。浅ましき炎上共同性に置き換わっていくわけだよね。僕のように両方の時期を知っている人間からするとまるで違った文化を生きているみたいだよね。そういうことがなぜ起こるのか。それは社会学以外の心理学とか歴史学にはやっぱりどうしても説明できない。そういうのを説明するのがまず社会学の1つの使命だと考えることができる。逆に言うと例えば今の若い人たちは、はっきり言って暗いんです。それは僕が就職支援委員会の委員長を何年かやってた時に86年生まれを境に「若い人が暗くなってます」と各企業の人事担当者が口を揃えて言うわけ。色んな人間たちに聞き取りをしていくと86年以降、長じた人間は物心がつくのが97年の平成不況が深刻化した以降のことなんだよね。すると社会ってあん変わってないんだ。それ以前の世代は中学高校紛争をやってたし、それが終わって白ける世代。「しらけ」が終わったら今度はナンパコンパ世代。かと思ったら今度は学生起業家世代。80年代前半の第一次起業ブーム。僕らからすると全部やってるわけね。バブルの盛り上がりがあって、しかしその中で実は陰で盛り上がっていたのがニュー風俗とか性愛だったりする訳だけどもその盛り上がりも90年代半ばを境にパタっと止んで当時、若い人は今の若者より3〜4割増しの性体験があった。今は全然なくなっちゃってるんだよね。これも一変したんです。

そうすると、ついつい僕たちは「最近の若い奴はダメだな」と理解しがちだけど社会学のオーソドキシーから言うと、正当な流れから言うとむしろ見ず知らずの人間を仲間だと思うのが異常なんですね。例えば僕たちは昼食をレストランで食べたりしているし、知らない人が運転する乗り物に乗ったりしているよね。これがなぜあり得ないかっていうのは1800年前後の