あきと

『むずかしいことをやさしく,やさしいことをふかく,ふかいことをおもしろく,おもしろいことをまじめに,まじめなことをゆかいに,ゆかいなことをいっそうゆかいに』

落合陽一「大学の教育現場で感じる問題点」(2019年2月11日)

大学に行くと価値が一元化していてジャーナルを何本書いたか、国際会議に何個出したか、そしてそれはどのくらい引用されたのかみたいな話だけになってしまっている。本来、価値が多元化していて意味がある本当のアカデミズムの世界とはちょっと違ってきたなと思う。論文を価値尺度にしたパワーバランスゲームになると本来の意味で科学技術に対して貢献していると言えるのだろうか。僕は貢献してないと思う。新しい価値観とか新しい発見とか人類の知に対する喜びをどうやって見出していくかってことをやるために皆さん研究者になられたはずなのに実際やってることは指標がどうだペーパーが何本書けたバジェットが何本取れたかを自慢し合っているおじさん達の集まりになったらあんまり魅力的に映らないから進学しないのはそれはそうだろうな、と何となく思う。1番問題だと思っているのは大学で出てきたものが社会に中々、出てこないこと。例えば僕の分野の先生だと俺がこの発明をしたんだっていう人が結構いるんですけど、その発明をした頃に研究をしてただけでおそらく世の中に出てくる発明には寄与していないんですよ。知財とか新しい特許には。つまりその論文を読んで研究して新しいものが出てきた訳ではなくて大体、同時代性があるものって違う人がひらめいて物を作ってしかしながら同じ時期に同じようなことをしていたから今、椅子を温めている大学の先生方がすごく多くてですね、それってすごく意味がないなあと思っていてお金をたくさん投資して研究開発をしてるんだけど出てくるものっていうのは実際の世の中と紐付いていなくてアカデミック村であの時、流行っていたあれが出てきて評価されているってのはあんまり楽しくなくて僕はたくさんロールモデルを作っていく人間になりたいんですよ。