あきと

『むずかしいことをやさしく,やさしいことをふかく,ふかいことをおもしろく,おもしろいことをまじめに,まじめなことをゆかいに,ゆかいなことをいっそうゆかいに』

茂木健一郎「なぜ若者は反抗しないのか」(2019年12月29日)

なぜ大人しくリクルートスーツを着たり偏差値入試に従って大人しく勉強してるのかって思うんです。僕はやっぱり若い世代、子どもたちが接しているMinecraft(マイクラ)やREDSTONE(オンラインゲーム)、深夜アニメだとかそういうものって、従来の価値観だとか社会的なヒエラルキーってことと関係なく新しい文明や文化を生み出しているものだと思うんですけど。そういうものに子どもたちは接していて、僕は小中高に講演会へ行った時なんか子どもたちに逆取材して「最近、何が流行ってるの?」と聞くと僕が全く聞いたことないような深夜アニメのタイトルが出てきたりして、そのコードを埋めている大人たち、先生や保護者に聞くと誰も知らなかったりするんですよね。でも子どもたちは皆、知ってる。そういう状況を見てると、新しい文化っていうのはグローバルであり例えば日本の深夜アニメは世界中のファンが見てる訳ですよね。そういうのを大人たちが「アニメやゲームばかりしてると勉強できなくなる」「スマホを使うと学力が落ちる」みたいなことを言ってて古い価値観とか今までのパラダイムで上から押し付けてくる訳じゃないですか。そういうことに対して子どもたちがあまり逆らったりしない。反抗期がないっていうのは結局、次の世代において重要な文化・文明っていうのは自分たちで掴んでるっていう確信や安心感があるのかなあと思ったりするんですよ。マルチプレイヤーのオンラインの戦略ゲームなんていうのは明らかにこれからの時代、大事でね働き方なんかもそういう風に変わってくる可能性が高い訳ですけど。じゃあ数百人の参加者を集めて戦略ゲームをやってる小学校2年生相当の学校行ってるか行ってないか分からないくらいの男の子が「ゲームなんかやってても勉強できないぞ」と言われた時に勉強や学力っていうのが古かったりする訳だけど、でもそういうことにいちいち逆らわなくても時間が経てばどうせ自分たちの世界が来るというか自分たちが接しているリアリティを中心とした世界が構築されるってことを子どもたちは知ってるから戦わないのかなあと思ったりするんですよね。逆に大人たちの方が感覚において新しい世代の持ってる文化・文明を掴めないことへの不安や恐怖があって。だから一部の大人たちが新しい文化を否定したりするのかもしれない、と思うんですけど。いずれにせよ広がったネットワークの中で拡散してる新しい文化・文明に浸っている子どもたちにとって抵抗や反抗はあまり意味がないのかなあと。むしろそういうステルスというか見えない所で広がっている良い意味の不快のような新しい文化に自分たちがいるってことの方が大事なんだ、っていうことなのかなあと思ったりもしますね。だから若い世代が反抗せず大人しく見える理由は意外とそういうとこにあんのかなあと思ってます。だから僕もまぁそういう意味においては感覚がズレないようにしないといけないなあと常に思ってますけどね。